介護老人保健施設 しょうわ
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22 「ひねもすのたり -吉野家にて-」

 テーブルに肘を付いたまま、どんぶりを口元に運び飯を食う若者。体をねじったまんまで飯を食う。「食う」とは食べることだけではなく、「くらし」「生活」といった意味もある。それに対して「喰う」は「口でものを食べる」という意味がある。したがって、若者の食事は「食っている」というより「喰っている」のほうがしっくりする。
 「食育」が唱えられて久しいが、いつからこんな社会になったのだろう。
 おそらく友だち同士であろうが、喫茶店でコーヒーを飲んでいても2人は目を合わせない。その視線は携帯電話の画面を追いかけている。そういえば私の若い頃は漫画であった。現代は漫画が携帯電話になっている。携帯電話を片手に、人の話を聞いているとは思えない。みごとな手つきでキーを打つ。目の前の人より電波の向こうの人間と電波を共有するのに忙しい。電車でも、道を歩いていても、せっかく時間と空間を共有しているのに気持ちは共有していない。いや、しようとしない。
 「ウザイ」とはどういうことだ。ウザイはうっとうしいのか、疎ましいのか、邪魔なのか、目障りなのか。言葉には魂が宿る。だからお参りするときには口を漱ぐ。ウザイにはどんな意味が籠められているのだろう。はたして魂を宿しているのか。
 時がのんべんだらりと過ぎていく。安易に時間が遣われている。社会の変化はめまぐるしい。時代の変化は急に起こり、急に動き、そして変わる。それなのに世の中はだらだらしている。何もしなくても時は過ぎる。何かしても時は過ぎる。受動的に過ごしても、能動的に過ごしても、一日は一日である。
 なんかこう、ピリッとしない今、ガツンとやることも必要だ。