福澤諭吉の「学問のすすめ」という本をご存知ですか。「天は人の上に人を創らず。人の下に人を創らず」。
 人は皆平等だと中学の頃に社会科の授業で教わったはずですが、覚えていますか。しかし以前にこの本を読んだことがあるのですが、間違ったことを教わっていたと知りました。
 「学問のすすめ」は、人は生まれた時は平等であるが、その後の結果は本人の努力次第で、決して平等ではないというのです。ただしここでは1つの前提があります。それは努力をしようとする者に適切な環境が与えられなければならないということです。「大工の倅は大工」と言って、勉強をさせないのはいけないと書いてあります。
 「ゆとり教育」といわれて随分と経ちました。私の育った頃は受験戦争真っ只中で、不登校や校内暴力も花盛りのときでした。環境は大きく変化し「競争はいけない」と運動会の徒競走では順位を付けず、通信簿は絶対評価で偏差値などもっての外。違和感を持つのは私だけでしょうか。どんなにゆとりを持って、考える力を育むといっても掛け算の九九はやっぱり丸暗記しなければ先には進めません。親の仕事は丸暗記する環境を整えることで、できないことを正当化することではありません。
 終身雇用の崩壊と成果能力主義の浸透で、一般社会は競争の時代です。では企業の仕事は……。これから学校を卒業して社会人になる人たちに企業がしなければならないことは、競争するということの大切さを教えること。何より競争するために基礎学力をつけることができる環境を整備することではないでしょうか。
 個人主義とは、環境を生かし「学ぶ」かどうか。その結果こそ個人の責任です。