秋から冬にかけては、晩秋、初冬という言葉を使いますが、春から夏にかけては、初夏という言葉は使っても、ほとんど晩春という言葉は使いません。晩秋から初冬は、生活が厳しくなるからその移りを意識するのでしょうか。春から初夏は命の芽吹く頃、生き生きとした季節の中で移ろいを意識しないで時が過ぎていくのでしょうか。学者ではないので詳しくはわかりませんが、ふと思いついて見ると、どうしてなのか不思議です。
 興味とは、「持つ」ものなのか「湧く」ものなのか。「持つ」と捉えると自発的、能動的な印象、「湧く」と捉えれば自然に、受動的な印象として伝わります。「持つ」という言葉の響きは秋から冬への、「湧く」という言葉は春から夏への響きのようにも思えます。意識して迎え撃たなければならない覚悟と、あるがままを受け入れられる包容力と。
 人は「持つ」と「湧く」を上手に使い分けることができます。「持つ」ときもあれば「湧く」ときもあり。わざわざ持たなくても勝手に湧き上がってくるときもあれば、わざわざ意識をして持たせなければならないときもあり。
 次に何をするかは、興味を「持つ」か興味が「湧く」かは、自分の決めることです。