自分らしく生きる。そして自分らしく寿命を迎える。
 家族はゆとりと余裕を持って、後悔のない介護をする。
 そのために、「今」できることをしてください。
 「今」できないことは施設に任せてください。

 本人とその家族にこの思いを伝えることで最期までを看させてもらっています。
 いつからだったか定かではありませんが、看取りに立ち合わせていただいた後に「最期まで看させていただいて、ありがとうございました」と言うようになっていました。
 いつも後悔や反省は残ります。「本当にこれでよかったのか」と自問自答します。
それでも「今」できることをたぶんできたのだと思えたから、感謝の言葉を自分から言えるようになったのでしょう。職員が「できることをやってくれている」と思えたから言えたのだと思います。
 今日、一人の方が亡くなりました。
 最期を看取らせてもらえました。でも、お見送りができませんでした。一人の人の「死」を、職員と同じ感性で捉えられていないと感じたからです。少しずつ感性の隔たりが広がっていっていることは分かっていました。しかし今日、感性の隔たりの広さに驚き、嘆く以前に怒りがこみ上げてきました。何も変わらないことは分かっていたけれど、怒鳴ってしまいました。怒鳴らずにはいられませんでした。
 心が抑えられず、そんな心でお見送りすることが嫌で、お見送りをしませんでした。お見送りができませんでした。

 心を整理するつもりでこの原稿を書いています。
 今、この部屋の外では職員の笑い声がします。お見送りをした職員の笑い声が聴こえます。一人の人がこの世からいなくなったこと。ずっと悲しんでなどいられないことは分かっています。この仕事をする以上、振り返ったらまたそこには私を必要としてくれる人がたくさんいるから。
 でも、慣れてはいけない。
 気持ちを共有するためにはどうしたらいいのか。
 感性の隔たりを埋めていくために何をすればいいのか。
 しばらく悩んでみます。
 お見送りができなかった自分に。怒鳴らずにはいられなかった自分に。
 しばらく悩んでみます。

*会報誌27号(平成21年4月発行)より