「死神」という落語をご存じだろうか。

 概要はこうだ。
 貧乏な男が首をくくろうと木の下に立つと、死神に声をかけられ、「医者になるよう」勧められた。
死神が、病人の枕元にいるときは死ぬ。足元にいるときは呪文を唱えると死神はいなくなって
元気になる。ただし、寿命は変えちゃいけないと死神にきつく言われた。

 ある日大店の番頭さんに「旦那さんを助けてください。お金ならいくらでもあります」と言われて
家に連れていかれると、死神が枕元に座っていた。「これはいけません」と言い、帰ろうとすると
「そこを何とか」と金を積まれた。そこで、死神が寝ているすきにひょいと布団をひっくり返した。
足元にいる死神が驚いている間に呪文を唱えた。すると死神はパッと消えて旦那は生き返る。

 言いつけを破ったため怒った死神は、男を川沿いの明るい所へ連れて行く。
 そこはたくさんの蝋燭が燃えている。蝋燭は人の寿命で、長いのもあれば短いのもある。
 その中で、今にも消えそうな蝋燭がある。
 これは誰のだと聞くと、死神は言う。
 「お前のだ」。  
 風が吹いて蝋燭が消える。

 人類は有史以来、永遠の命を求め、不老長寿を探し続けてきた。光り輝く未来はすぐそこに来ている。
 再生医療、iPS細胞の臨床試験が始まろうとしている。どんな病気も治ってしまう。
 病気になったら臓器ごと取り替える。機械のようにオーバーホールして、古い部品は取り替える世の中。
ということは、街には元気な高齢者が溢れかえる時代が来る。65歳定年。まだまだ早い。
 年金支給開始年齢80歳。平均寿命120歳。
 認知症になったら脳ごと入れ替えればいいって、自分史はどこに行ってしまうのか、
ちょっと心配になるのは私だけだろうか。

 一方で、現世に目を向ければ超高齢社会、多死社会、孤独死、孤立死、終末期医療、看取り、尊厳死、
エンディングノート。命の終わり方についての議論も活発になってきた。
 医者は患者のためにと、1分1秒でも長く生きられるように努力してきた。けれど蝋燭の長さは
生まれたときに既に決まっているのかもしれない。平均寿命はなぜ延びたかの理由は、栄養状態と
衛生環境の向上による乳児死亡率の低下と、結核をはじめとする感染症治療技術の向上のおかげ。
メタボリックシンドロームはいけないと指導されるが、栄養状態がよくなり長生きできるようになったから
糖尿病、高血圧、高脂血症などの成人病になれるようになったのだ。癌、脳卒中、心筋梗塞になれる年まで
生きられるようになったのだ。

 ただ長く生きるために生活に制限を設けることが善なのか。
 自分らしく有意義に生きることは悪なのか。
 好きなことをして、好きなように死ぬことができる時代になったのである。
 生にしがみつくなら最先端の医療が必要だろう。しかし、ほどほどの生ならほどほどの医療でいい。
 要は自分の終わりに向けてあくせくもがき、その結果を受け入れることもできる時代に我々は生きている。

 死神は足元かい。それとも枕元かい。
 逆らっちゃいけないよ。さあ覚悟はいいかい。

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